漁師町の球児たちが繰り出す豪快なバッティング。この夏、「黒潮打線」に列島が沸いた。
『豪快銚商、歓喜の〝日本一〟』
『悲願の大旗 〝黒潮球児〟の胸に』
『〝甲子園の雄〟に拍手』
1974年8月20日。千葉日報は、そんな大見出しを1面に躍らせた。銚子商が千葉県勢として2度目となる夏の甲子園優勝を果たしたのだ。
まだテレビが一家に一台の時代。甲子園は、地域の誇りそのものだった。房総半島東端の小さな町では、多くの人がテレビの試合中継に夢中になり、翌朝の新聞記事に熱心に目を通したことだろう。
地元の熱狂ぶりを当時の千葉日報はこう伝えている。
「乗組員のテレビ観戦のため出漁を休んだ漁船に大漁旗があがり、商店街に『優勝おめでとう』のたれ幕が下がり、町中は祝賀ムードでいっぱい」
「熱狂ファンの多い浜っ子の職場魚市場は閑散、それもそのはずでほとんどが甲子園に出かけて空っぽというわけ」
甲子園での戦いは、地元・銚子の日常さえ変えるほどの熱気を生み出していた。
◆自慢の打線が本領...
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